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有間とも書いた。島原半島の南部に位置し,北を有馬川が流れる。鳳上岳・上原の東部と南部の斜面に段々畑や棚田,海岸の平坦地に水田,有馬川河口付近に有馬干拓地が広がる。灌漑用水の溜池として大池など多数がある。丘陵上には縄文時代の遺跡があり,有馬川河口近くの北岡金比羅弥生遺跡からは甕棺が出土。地名の由来は,鎌倉期に有馬氏が高来(たかき)郡の地頭職に補任され,有馬氏の支配の中心地となったことにちなむ。北有馬に対する。明応5年,有馬貴純は日野江城の出城として,志自岐原(原島)に原城を築いた。原城は天然の要害を城塞化したもので,現在も本丸・二の丸・三の丸・天草丸・石垣・空濠が残り,国史跡となっている。寛永14〜15年の島原の乱では天草四郎時貞を盟主とするキリシタン農民軍が立籠り,数万人が戦死した。吉川には県史跡の台付樽型キリシタン墓碑がある。
【南有馬村(近世)】 江戸期〜明治22年の村名。
【南有馬村(近代)】 明治22年〜昭和7年の南高来郡の自治体名。
【南有馬町(近代)】 昭和7年〜現在の南高来郡の自治体名。
