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![]() | 和爾[近畿地方] |
和珥・丸邇・和邇・丸・和安・和迹・和丹などとも書かれる。大和川水系菩提杣川流域に位置する。埴(はに)と同義で,良質の埴土の産出地であることを示すか。当地を本拠にした豪族に和珥氏がおり,天足彦国押人命は「和珥臣」らの始祖と見える(孝昭紀68年正月庚子条)。ただし,「古事記」孝昭段には天押帯日子命と表記され,春日臣・大宅臣・粟田臣・小野臣・柿本臣らの祖とされている。また「丸邇臣の祖,日子国意祁都命」(古事記開化段),「和珥臣の遠祖姥津命」(開化紀6年正月甲寅条)ともある。「記」「紀」ともに欽明朝以後,和珥氏の呼称は用いられなくなり春日氏を称するようになる。春日氏は当初和珥氏を称していたが,のちにはその族長的地位に就いたらしく,春日和珥臣(雄略紀元年3月是月条)・春日小野臣(雄略紀13年8月条)・春日粟田臣(孝徳紀白雉4年5月壬戌条分註)などの複姓が見える。おそらく欽明朝頃族名を和珥から春日に改め,その後さらに大宅・粟田・小野・柿本などの諸氏に分枝したものと思われる。なお現在の大和郡山市横田町付近には和爾や櫟井の地名が残り,和珥一族の進出地域であったことが知られる。「姓氏録」には従って,「和爾部宿禰」(左京皇別下)・「丸部」(同前)・「和邇部」(山城国皇別)・「和邇部」(右京皇別下)・「和邇部」(摂津国皇別)など旧和珥氏の部民やその伴造であった氏族の名前しか見えない。
【和珥(古代)】 大和期から見える地名。
【和邇(古代〜中世)】 平安期から見える地名。
【和爾村(近世)】 江戸期〜明治22年の村名。
【和爾(近代)】 明治22年〜昭和33年の大字名。
【和爾町(近代)】 昭和33年〜現在の天理市の町名。
