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長平村(近世)[青森県]
角川日本地名大辞典(旧地名編)

 江戸期〜明治22年の村名。津軽郡鼻和庄のうち。弘前藩領。「国日記」寛文3年4月12日の条によれば,中村で小知行を与えられている太郎左衛門という者が,長平のうちを御蔵派で開発することを願い出,南は徳明川,西は「つぶらした」,北は大館,東は成沢をそれぞれ境とする範囲の開発を許可されているので,当村の開発はこの頃に始まるものと思われる。村高は,「貞享4年検地水帳」35石余(田24石余・畑屋敷10石余),「天保郷帳」54石余,「旧高旧領」58石余。「貞享4年検地水帳」によれば,小字に「おとは山・谷口」があり,反別は田3町6反余・畑屋敷3町4反余(うち屋敷地1反余),このほかに永荒田1反余,草山,萱山・柴山・開発可能地(田畑)26町7反余,池床1反余が見える。また,田は上田と下田・下々田,畑は上畑から下々畑まで設定され,石盛は上田1石1斗,上畑6斗。元禄3年には赤石組に属し,村位は下(平山日記)。江戸後期のものと思われる亥年御郡内沢目村々田畑戸数調帳によれば,家数4,反別は田7町9反余・畑屋敷3町余。神社は,正徳3年の創立という稲荷宮が集落南部にある(安政2年神社書上帳)。なお,同社は明治6年南浮田村高倉神社に合祀されるが(国誌),のち復社する。明治4年弘前県を経て,青森県に所属。同11年西津軽郡に属す。明治2年の郷村高戸数人口租税書では,戸数15・人口98,馬24。明治初年の戸数19,村況は「此の村岩木山腰と荒原との際にあり,昔永平寺と云岩木山僧の住せし処なりと云ふ……此辺曠野にして深林なく,隣村には四方二里に近き孤村にして,殊に高敝の地なれは山嵐強く霜雪早く隕て禾稼を穀し菽麦秀さること時々あり,且土地瘠薄にして作毛佳しからす,依て専ら炭を焚て業すと」という(同前)。明治6年には,当村より岩木山頂に通じる古道が復活し,同年1年間に同道を通って岩木山に参詣する者は1,000人を超えたという(鰺ケ沢町史年表)。明治12年の「共武政表」によれば,戸数19・人口132(男66・女66),馬28,物産は米・炭・薪。同22年中村の大字となる。