こころの辞典 離 56 離人症 depersonalization ものの実感が感じられなくなる状態.本人は病識を有していて大変辛い.しかもその行動をみているだけでは他人からは異常がわからない.特有の不快さで言葉にすることはむずかしいと訴える.伝統的に次のように分類している.①内界意識離人症=自己の体験や行動の能動感消失=人格感消失(狭義の離人症):訴えの言葉は「喜怒哀楽が感じられない.つまらないとも思わない.何も感じない.頭が麻痺している.自分がやっているのはわかるのに,自分がしているという実感がない」などである.②外界意識離人症=外界対象の実在感の希薄=現実感消失または非現実感:「自分のまわりにベールが一枚かかったかのようだ.実感がない.生き生きとした感じがない.見慣れているもののはずなのによそよそしい.」③身体意識離人症=身体の自己所属感の喪失・自己感覚の疎隔=自己身体喪失感:「自分の体ではない.暑さ寒さの感じがない.自分の体が生きている感じがしない.」これらの離人症状は精神分裂病,うつ病,神経症などで起こり,治療は原因疾患の治療を進める.①感覚の動揺:離人感は動いているはずである.感覚は「変化」をとらえるのである.離人も長く続いて固定していれば,違和感もなくなるはずである.従って,苦しいからには揺れ動いているはずである.離人症の場合に「物体が目に飛び込んでくる」「ものが急に大きくみえる」などと訴えることがある.このように揺れ動いているはずだ.揺れていることが患者自身にわからないのは何か理由があるのではないか?②離人症と幽体離脱:幽体離脱は体外離脱のこと.幽体とは「霊魂」であり,それが身体を離脱すること.臨死体験で霊魂が離脱して状況を斜め上方からみていたりする.また非常に強いショックを受けたときに離人体験が生じ,その状況を映画でもみているように客観的に眺めている.これは幽体離脱に近い状態になっていると考えられる.DSMの離人症の記述は幽体離脱体験に近い.「自己の精神過程または身体から遊離し,自分が外部の傍観者であるかのような感情の体験」「ロボットになったような,夢の中にいるような感情の体験」などと記述されている.「自分は自動人形になってしまった」という感じが発展すると,自己が二重になったり,行動する自己と,それを外部から眺める自己とが2つにわかれてしまうこともある.離人症を身体から霊魂が離れる症状と解してみる人もいる.取り残された身体は自動機械のようになる.これは一つの比喩として面白い.③離人症と能動性:離人症を知覚障害の系列で考えてみたくなるのは理解できる.離人症を理解していない人はまず感覚器の検査をするだろう.知覚障害は,末梢感覚障害(低次の・末梢の問題)と失認(高次の・中枢の問題)とに大別できる.離人はこの系列で考えれば,超高次の機能障害とも考えられる.離人が感覚の能動性の障害であると記載されるのはなぜか.浅い意味では,「自分が何かしているという実感が薄れる」という症状をとらえて,能動性の障害といっているようである.しかしさらに深い意味も考えられる.人間が何かを知覚するときには,ただ受動的に感受しているのではない.知覚には能動性が含まれている.コウモリが自分から超音波を発して,その反射を受け取るように,人間の側から対象に「網を投げかけるようにする」能動性が含まれている.例えば,目でみるときも手で触っているように能動性を発揮している.目は「ざらざらした」質感をとらえるが,それは手が能動的に動くことによって獲得する感覚である.また,例えば眼球を固定した場合,視覚的認知がどれだけ制限されるかという実験がある.眼球を動かして能動性を発揮することによって,感覚を手に入れていることがわかる.能動的に感覚するから実感が生まれる.こうしたことから考えると,知覚には能動性が関与していることがわかる.そして離人症が能動性の障害であるという記述の深い意味がここにある. 丸善「こころの辞典」JLogosID : 12020628