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手配写真
【てはいしゃしん】


指名手配写真第一号は、その制度をつくった人物

交番や駅構内掲示板などで見かける、おなじみの手配写真。かつては、目、鼻、口などのパーツをくっつけて一枚写真仕上げていたが、現在は写真合成の技術格段向上し、不自然な写真は少なくなった。江戸時代以来人相書き改め手配写真犯人公開捜査に使われることになったのは、一八七二(明治五)年である。「監獄図式」が公布され、「逃亡の時、逮捕のように備ふ」ために「写真図を取り置くべし」と通達された。これが手配写真のはじまりである。この通達出したのは当時司法江藤新平である。江藤は、近代的司法制度基礎づくりに意欲的取り組み司法権の独立裁判における弁護人傍聴制度制定、あだ討ちの禁止警察制度制定など、近代的国家制度の礎を築いた人物手配写真も、こうした司法改革一つして設けられた制度なのだ。ところが手配写真をめぐって皮肉事件起こる一八七三明治六)年、いわゆる征韓論をめぐり、内政優先派である大久保利通岩倉具視らと、対外強硬派の西郷隆盛板垣退助らとが激しく対立大久保内政優先派が勝利し、敗れた西郷をはじめとする五人の参議野に下るという事件起こる生まれ間もない政府が分裂してしまったのだ。このとき、西郷らとともに参議を辞して、出身地である佐賀に戻った江藤は、翌年二月佐賀不平氏族にかつがれて反乱起こすが、政府軍に鎮圧されて逃亡。そして、逃亡した江藤の手配写真全国配布されるたのである。手配写真制度をつくった江藤自身が、日本初めて手配写真行方を追われる身となってしまったのだ。記録には、「佐賀県士族征韓党、江藤新平、右人相 一、年齢四一歳 一、丈高く肉肥へたる方 一、顔面長く頬骨高き方 一、眉濃く長き方 一、眼太く眦長き方 一、額広き方」とある。江藤は四国に渡って潜行したが、土佐阿波国境でついに逮捕され、一八七四(明治七)、佐賀裁判所において、かつての部下から死刑判決を受けて、即日処刑されてしまった。




東京書籍
「雑学大全2」
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