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電話①
【でんわ】


明治時代は、「もしもし」ではなく「おいおい」だった

電話をかけるとき、まず発する言葉といえば「もしもし」。ところが、明治時代には「おいおい」といっていたという。日本電話交換業務がはじまったのは、一八九〇(明治二三)年一二一六日、東京横浜においてである。市内通話と両都市間の市外通話開通した。それに先だっておこなわれた電話交換公開実験様子読売新聞記事にある。それによると、まず「おいおい」といって交換手呼び出し相手出ると「おいおい」と言葉をかけてから会話したとある。「おいおい」の呼びかけに対しては、「はい、ようござんす」と答えるのが一般的だったようだ。「おいおい」なんて、ずいぶんと偉そうな物言いだが、それもそのはずで、この頃電話を使っていたのは、かなりの高官裕福な者たちだけだった。なにせ開業時の電話加入者数は、東京が一五五、横浜が四二だけである。さて、現在では最もポピュラーになっている「もしもし」は、「申します、申します」を縮めたものだ。「これからいいますよ」といった意味で用いられる女性言葉だった。一八九三(明治二六)年七月三日付の『電気之友』には、「男のくせに、うっかり『もしもし』という者がいておかしい」という記事がある。もっとも、こんな記事が書かれるくらいだから、女性言葉の「もしもし」を使ってしまう男性も多かったのだろう。では、いつ頃から「おいおい」が「もしもし」に変わったのだろうか。はっきりしたことはわかっていないが、一説によると明治三〇年代ではないかといわれている。その理由以下通りだ。一八九九明治三二)年一〇月一一日の朝日新聞に、「男の交換手をなんとかやめさせる方法はないか」といった投書掲載されている。開業当初男性の交換手もいたのだが、とにかく男の交換手はぞんざいな対応評判が悪く、その後全廃となった。それによって交換手女性だけとなり、彼女たちがよく使う「もしもし」が一般にも広がっていったという。




東京書籍
「雑学大全2」
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