暦の雑学事典 2章 暦の歴史エピソード 264 フランス革命暦【ふらんすかくめいれき】 短命に終わったフランス革命暦 ◆グレゴリオ暦にも欠陥がある 一五八二年から使われつづけているグレゴリオ暦は、流行の言葉でいえばデファクトスタンダード(事実上の世界標準)の暦である。しかし、グレゴリオ暦の前身はユリウス暦であり、ユリウス暦は古代ローマ暦にエジプト発祥の太陽暦を導入したものだ。基本骨格は太陽暦だが、様式は古代ローマ暦の名残をとどめていて、必ずしも合理的な暦とはいえない。 たとえば、グレゴリオ暦では大の月は三一日、小の月は三〇日だが、二月が二八日(閏年は二九日)となっていて、大の月と三日の差がある。月給を受け取るときは得をしたような気になり、家賃の支払いでは損をした気分になる。 また、七月、八月は大の月が続くように、大小の月の並び方が不規則であるし、閏日が二月の最終日の後ろに置かれることについても暦法的な根拠はない。さらにいえば、年初である一月一日が、冬至の約一〇日後となっていることが、はたして妥当かどうかという問題もある。 一七八九年のフランス革命後、共和国政府は十進法に基づくメートル法の提唱など、合理主義思想に基づく大胆な改革を推進し、一七九二年にはフランス革命暦(共和暦)という新暦を施行した。これは一か月をすべて三〇日にそろえ、年末に余分の五日(閏年は六日)を置き、年初を秋分の日(共和制宣言の日)にするというものである。◆諸外国との調和がとれず一四年目に廃止 フランス革命暦においては、週という単位も廃止され、一か月を一〇日ずつの三旬に分け、一〇日、二〇日、三〇日が休日と定められた。暦における宗教の影響を一掃しようとしたのである。 さらには一二の月の名称も次のように改められた(年初が秋分なので、第一月のバンデミエールはグレゴリオ暦の九月下旬~一〇月下旬にあたる)。<バンデミエール(ぶどう月)・ブリュメール(霧月)・フリメール(霜月)・ニボーズ(雪月)・プリュビオーズ(雨月)・バントーズ(風月)・ジェルミナル(芽月)・フロレアル(花月)・プレリアル(草月)・メシドール(収穫月)・テルミドール(熱月)・フリュクティドール(実月)> 声に出して読めばわかるが、季節ごとに(三か月ずつ)脚韻をそろえてあり、詩的で美しい月名である。しかし、日付が諸外国とずれてしまうので混乱はまぬがれず、施行後一四年目の一八〇六年にナポレオンによって廃止され、もとのグレゴリオ暦にもどされてしまった。暦法としてはグレゴリオ暦とさして変わらないので、これは当然の成り行きであった。ちなみにマルクスの著書『ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日』は、革命暦八年ブリュメール(霧月)一八日(グレゴリオ暦一一月九日)に、クーデターによってナポレオンが独裁権を獲得した日のことをいう。 日本実業出版社「暦の雑学事典」JLogosID : 5040046