人をも身をも

逢(あ)ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし
〈拾遺・恋一・六七八・藤原朝忠(あさただ)〉
[訳]「あなたに逢うことがまったくないならば、あなたのことを、また自分の運命のはかなさを恨むこともないであろうに」
<参考>天徳四(九六〇)年三月三十日、「天徳内裏歌合」での詠歌。本来は「未だ逢はざる恋」として詠まれた歌で、『拾遺和歌集』の配列もそのような位置におかれていて、求愛したけれどもまだ契りも交わしていない、恋愛の初期の段階の歌ということになる。逢瀬(おうせ)の希望がまったくかなわないものならばあきらめもつこうが、成就の可能性が少しでもあるならば、ぜひかなえてもらいたいとひたすら切望している歌となる。だが一方では、「逢ひて逢はざる恋」という解釈もある。いったんは逢瀬がかなったもののその後は逢う機会が絶え果てて、なまじっか逢ったばかりにかえって思い悩むさまを詠んだ歌となり、定家もそのように理解していたらしい。『小倉百人一首』の作者表記は「中納言朝忠(ちゅうなごんあさただ)」である。

![]() | 東京書籍 「全訳古語辞典」 JLogosID : 5113541 |