大鏡
【おおかがみ】

作者・成立
作者は未詳。源氏の出身の者とする説のほか、藤原能信よしのぶ、大江匡房おおえのまさふさ、藤原実政さねまさなどの名があがっている。 成立は平安時代末期。作品の中では万寿二(一〇二五)年を現在としているが、これは藤原道長の栄華の絶頂の時点までを語るため仮に設定されたもので、早くて康平八(一〇六五)年以後、遅くとも保安元(一一二〇)年以前の成立か。摂関政治から院政へと移行していく時代相を背景として成立したと考えられている。 書名の『大鏡』は作者の命名ではなく、古くは語り手の大宅世継おおやけのよつぎにちなんで、『愚管抄ぐかんしょう』では「世継が物語」、『徒然草』では「世継の翁おきなの物語」などと呼ばれていた。鏡は人と歴史を写し出して手本となる書物の意である。この後『今鏡』『水鏡』『増鏡』が著されて、これらを鏡物、四鏡などと呼ぶ。
内容・構成
第五十五代文徳天皇の嘉承三(八五〇)年から第六十八代後一条天皇の万寿二(一〇二五)年の十四代百七十六年間の歴史を、代々の天皇の伝記である本紀と臣下の伝記の列伝などから成る紀伝体で述べた歴史物語。次の五部から構成される。[序] 座談の場の紹介。[本紀(帝紀)] 十四代の天皇についての略歴と事績。[列伝] 藤原冬嗣ふゆつぐから道長までの主要な摂政・関白・大臣についての略歴と事績。[藤氏とうし物語] 鎌足かまたりを始祖とする藤原氏の繁栄。[昔物語(雑々くさぐさ物語)] 和歌・技芸をめぐる風流譚ふうりゅうたんや神事・仏事にかかわる信仰譚。 文徳天皇から始まるのは、冬嗣の娘順子じゅんしの産んだ同天皇の即位によって、藤原氏が外戚がいせきとしての地位を確立したことによる。
文体・特色
世継たちの談話を記録するという体裁ていさいのため、口頭伝承の説話の文体となっており、丁寧語の「はべり」、婉曲の「めり」が目立って使用されている。 冒頭の書き出しは、 先さい つころ、雲林院の菩提講に詣まう でて侍りしかば、例人れいひとよりはこよなう年老ひ、うたてげなる翁二人、媼おうなと行きあひて、同じ所に居ぬめり。とあって、万寿二年五月、雲林院の菩提講の聴聞に来合わせた百九十歳の大宅世継、百八十歳の夏山繁樹なつやまのしげきとその妻に若侍が加わって、座談・問答形式で歴史語りが行われ、かたわらで聞いていた作者がこれを記録したという設定になっている。この座談・問答形式ないし戯曲的構成は、後の仏教書『宝物集』や物語評論書『無名草子むみょうそうし』などにも影響を与えた。 藤原道長の栄華と権勢の由来を歴史の流れの中で説明しようとして、人物の行動と事績を語って評価する紀伝体を採用したことにより、政権抗争を勝ち抜いていく者たちのみならず、敗れていった菅原道真すがわらのみちざね、花山院などについても同情をもって語るなど、摂関政治の残酷な側面も描き出されている。その点、貴族社会の出来事を編年体で叙述し、道長の栄華をたたえる点に重きがある『栄花物語』とは対照的である。

![]() | 東京書籍 「全訳古語辞典」 JLogosID : 5113641 |