アヅマ場所
【あづまばしょ】

(近世)江戸期の場所名。東蝦夷地のうち。厚真川流域に設定され,シコツ十六場所に属した。創設年代は不明。松前藩領で藩士への給地であった。寛文年間には戸田義兵衛の給地の商場で「家二,三軒」があったというが,「いふつ」より1里とあるので厚真川口の様子と思われる(津軽一統志)。元禄13年の「松前島郷帳」には「あづま」とあり,同年頃の「松前家臣支配所持名前」には「阿津満」の鳥屋(鷹などの狩場)2か所が,嘉藤吟之丈の支配所としてあげられているが,嘉藤(加藤)家が長く当場所に関係していたらしく,寛政4年「東西蝦夷地場所附」には「上アツマ加藤九郎右衛門」とのせられている。この史料では別に「アツマ 厚谷伴蔵」という記載もあり,厚真川流域に2つの場所が存在した時期があった。寛政3年「東蝦夷地道中記」では,厚谷伴蔵の「アツマ」について「ツケツベ」ともいうとしており,この「アツマ」が現在の知決辺川河口(厚真町本町などの市街の地域)のあたりをさすらしいことが知られる。「上アツマ」は厚真川下流域の現在の上厚真のあたり(浜厚真の上流の意か)と思われる。この辺りのシユプン(周文,現在の厚真町厚和)には,古いアイヌコタンがあったといわれている(戊午日誌)。天明6年では,請負人は中嶋屋兵右衛門で12両(蝦夷草紙別録),寛政3年では,請負人阿部屋伝吉,運上金不明(東蝦夷地道中記),寛政の幕領化直前の頃では,運上金が22両(東蝦夷地各場所様子大概書)であった。産物については,寛政2年で干鮭3,500束のほか,椎茸・榀縄があげられ,干鮭は豊凶の差が大きく,同3年では750束だけだったという記録がある(東蝦夷地道中記)。寛政11年幕府領となって請負制が廃され,ユウブツ場所として一括された。のち当地域は,明治2年胆振国勇払郡のうちとなる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7000354 |





