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追分
【おいわけ】


胆振(いぶり)地方の東北部,安平(あびら)川上流域。当地は,北海道炭礦鉄道夕張支線が同室蘭線から分岐する地点に位置することにより,明治25年駅名を追分とした(北海道駅名の起源)。同28年駅名にちなんで追分と呼ぶようになり(開基90周年分村30周年記念要覧おいわけ),地名として追分が確立した。江戸期には人家は見られず,当町域に関しては松浦武四郎「戊午日誌」にシアビラ・アツケシユフンベ・ブトシヤルウシナイ・フブシヤビラなどの地名が見える程度である。なお,追分から早来(はやきた)・美々(美)にかけては鹿の群棲地で,古くからアイヌにより捕獲され,鹿皮は重要な交易品となっていた。明治23年北海道炭礦鉄道室蘭線と同夕張支線の工事開始により,同年新保鉄蔵,同24年松浦幸寿・堀田清太郎,同25年表和平などが入地。同年8月室蘭線,同年11月夕張支線が開通。分岐点として追分停車場設置。同27年苫小牧尋常小学校植苗分校(同31年植苗尋常小学校,同36年追分尋常小学校と改称)が開校,児童数18。明治29年追分郵便局が開局。同31年駅構内に扇形機関車庫・保線事務所新設。同32年追分八幡神社と真宗大谷派説教所(のち法養寺)が設けられ,管内人口も1,000人を超え,同33年安平村が分村したのも,追分地区の発展による。当時の戸数・人口は早来地区111・267,追分地区205・1,068(鵡川村厚真村安平村分村関係書類/苫小牧市史)。苫小牧外六ケ村戸長役場の手代木茂篤戸長の提案により,村名は安平村,戸長役場は早来市街に設置と決まったため,4倍の人口を持つ追分側は不満として,以後両地区の対立が続いた。早来地区は,半数が農業従事者で,追分地区は,鉄道従業員が大半を占める。同35年~大正11年追分駅西側に北海道炭礦鉄道のコークス製造場が操業。明治40年市街に電話機が設置され,交換業務開始。大正12年安平村は一級町村となり,部長制度下では上本安平(かみぽんあびら)・下本安平・追分・中安平(なかあびら)・明春辺(あつけしゆんべ)の部落会が成立,追分地区の通称字として継承されていく。昭和12年追分地区の戸数・人口は,上本安平・下本安平は本安平として83・461,追分754・3,833,中安平32・216,明春辺30・198,計899・4,708(早来町史)。同22年から本安平・中安平・明春辺地区への戦後の開拓者の入地が行われた。同年安平村役場追分出張所開設,追分中学校開校。同24年苫小牧高校追分分校(定時制で同26年追分高校に昇格)開校。同26年北海道銀行追分支店設置。世帯数・人口は,同27年には本安平131・797,追分964・4,872,中安平55・355,明春辺41・274,計1,191・6,298(同前)。追分駅設置以来,追分とは広義的には追分町全体(旧追分地区),狭義的には追分市街地および通称字追分地域を指した。同48年新町名設定後は,広義的には追分町,狭義的には追分市街を指す。
【追分村(近代)】 昭和27~28年の勇払(ゆうふつ)郡の自治体名。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7001120