敷島
【しきしま】
(近代)昭和11年~現在の美深(びふか)町の行政字名。もとは美深町の一部,ピウカ・ピウカ原野。明治32年山梨盤作が入地。同34・35年仮定県道開削。開拓当初は当地一帯が森林でナラ・タモ・カバ・ドロなど樹種が豊富であった。明治36年江川宇平が青ドロの原木でマッチ軸木製造工場を開く(下名寄村誌)。明治末期から大正初期は第1次大戦をはさんで好景気だったため雑穀・豆類・バレイショデンプンが盛んに作られた。大正9年天塩川に町内第1号の橋(美深橋)が架けられ,ウルベシ道路(現国道275号)が通じて渡船場は廃止。大正末期美深土功組合の灌漑溝完成。はじめは水稲耕作地帯であったが,昭和20年代に全地畑地転換,昭和30年代に至り再造田。昭和46年頃からコメの減反政策によって休耕が続いている。戦時中は土地改良(暗渠排水)事業が盛んであった。また,地内から素焼土管用の粘土を産出(美深町史)。昭和24年北海道水産ふ化場天塩支場が字美深に設置,同26年から4年間美深橋下流付近で町営捕獲場が設置,サケの捕獲採卵事業が行われた。昭和20年代後半までは天塩川の水害常襲地であったが,昭和30年から築堤工事が進む。世帯数・人口は,昭和25年78・559,同35年81・492,同45年131・546,同55年401・1,218。昭和30~40年代は自動車免許試験コースがあった。昭和39年美深第二小学校が美深小学校(西1条北1~5丁目)から分離開校。同51年同校敷地内に新校舎を建設し,再度両校を統合して美深小学校となる。同55年から九線川・十線川などの河川改修が行われた。
| KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7003612 |