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徳川農場
【とくがわのうじょう】


渡島(おしま)地方八雲町にあった農場。明治11年5月,旧尾張藩主徳川慶勝が旧藩士授産のため,5万円を投じ第十一銀行を創立し,その利子で八雲の開墾を計画し,未開地約500haの下付を受けて開設した。明治14年までに家族移住43戸・単身移住21人を移して八雲村を開き,新たに隣接地430haの下付を受けて開墾を進めた。明治18年に諸制度の改革を行い,成業の見込みのないもの8戸を退場させるなど,従来からの保護を打ち切り独立自営させ,徳川開墾地と改称した。その後愛知県出身の農民や県外からの一般移住者を受け入れた。明治45年には旧藩士75戸に平均12haの土地を分与し自作農として独立させ,旧藩士授産の事業は一定の成果を得て決着した。残る土地は小作人を中心とした農業を経営し,名称も徳川農場と改めた。第1次大戦後農業の主力であった馬鈴薯生産が,でんぷん輸出の激減から打撃を受けたため,酪農を奨励し,農場収支赤字の補填のため山林事業も行った。昭和9年から農場の積極的な開放を続け,昭和21年までに約1,200haを分譲した。戦後は農地改革により約1,470haを開放し,徳川農場は消滅したが,山林事業は今日も続く。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7005546