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函館別院
【はこだてべついん】


函館市元町にある寺。真宗大谷派。本尊は阿弥陀如来。開基は松前専念寺6世住職浄玄。寛文8年松前専念寺6世浄玄が木古内村に一宇を創建したというが,寛永18年秋田浄願寺の僧が起こしたという説もある(東本願寺北海道開教史)。一時廃絶するが,元禄3年専念寺7世瑞玄の時,泉沢村に再興し阿弥陀堂と称した(蝦夷実地検考録/函館市史史料1,福山秘府/新撰北海道史5)。宝永7年(一説には同6年)専念寺8世潭玄が,阿弥陀堂を箱館(称名寺の東側,現弥生町)に移す。こうして箱館に東本願寺派の寺院が誕生した。宝暦9年専念寺掛所浄玄寺と公称。山号は青竜山と号した。天保9年本堂落成。安政2年幕府の蝦夷地再直轄が行われ,行政の中心が箱館に移ると,本山は布教の中心を箱館に移すため斎聖寺徳善を使僧として蝦夷地へ派遣。安政5年専念寺から浄玄寺を借り上げて本山掛所とし,本願寺箱館御坊浄玄寺と改称。単に本願寺掛所あるいは浄玄寺ともいった。寺務は本山から派遣された輪番が管掌した。明治9年制定された宗規綱領により,函館別院と改称。この間当院は,アメリカの仮領事館に当てられたり,明治9年の天皇行幸の際には行在所にもなった。また本山掛所に引き直された際境内に建てられた8か寺ほどの役寺は,同11~12年にかけてそれぞれ独立し,道内各地へ移っていった。明治12年の大火に類焼し,翌年仮堂が建ったが,道路改正のため同14年大谷光勝私有地の現在地へ移転(亀田郡内寺地留帳・北海道寺院沿革誌)。明治23年本堂ほかが落成したが,同40年の大火により再び焼失した。不燃性の本堂をということで大正4年完成したのが現在の鉄筋コンクリート18間四面の本堂である。明治26年頃の檀家数は1,420戸,境内地は1,732坪(北海道寺院沿革誌)。日本で最初の鉄筋コンクリート寺院だといわれている。昭和16年には,門前に明治天皇聖跡記念の碑が建つ。付属寺院としては,船見支院(明治37年創立),千歳支院(明治13年創立),海岸支院(明治33年創立)があり,付属事業としては昭和4年開園の大谷幼稚園がある(東本願寺北海道開教史・北海道宗教大鑑)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7006717