穂波
【ほなみ】
(近代)昭和16年~現在の行政字名。はじめ訓子府(くんねつぷ)村,昭和26年からは訓子府町の行政字。もとは訓子府村の一部,クンネップ原野。行政区として東訓第一・訓子府市街と通称された地域の一部。当地域には明治35年から屯田兵,開拓移民団北光社の関係者が入地。大半は小作制農場によって開拓。泥炭地に悩まされたが大正後期に造田が進み,戸口も増加。昭和16年の世帯数59。戦後,農村電化事業が行われ,同24年穂波第一農事組合が有線放送の共同聴取施設設置。同30年穂波第二新生活主婦の会が北海道生活文化賞に輝き,記念して碑を建立。同32年国鉄池北線穂波乗降場が開設。同34年無人駅となる。同41年以後道道北見置戸線などの道路網が整備され,交通の要所となる。昭和40年の世帯数77・人口450。
| KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7007873 |