ポロベツ
【ぽろべつ】

(近世)江戸期から見える地名。幌別とも書いた。西蝦夷地ソウヤ場所のうち。宗谷地方南東部,オホーツク海沿岸の北見幌別川流域。地名はアイヌ語のポロペツに由来し,大川,あるいは親なる大切な川を意味する。寛文9年シャクシャイン蜂起の際の「狄在所の名」に,「ほろへつ村 同(狄)五十人程,大将ウキセンハ」と見える(津軽一統志)。元禄13年「松前島郷帳」には,「ほろへつ」と見える。これ以降,幕府の各探検家の記録にこの大川(北見幌別川)があらわれ,寛政9年頃には川幅が12~13間で,舟渡しであったという(松前東西地理)。「天保郷帳」には「ソウヤ持場之内,ポロベツ」とある。松浦武四郎「再航蝦夷日誌」に「ホロベツ,小休所え着す。夷人小屋有。此川上ニ二りも上れば沼有るよし聞り。川巾凡二十四,五間。舟もて渡す。番屋有。ヱサシより出稼のよし聞けり」とある。安政元年には漁小屋3軒・アイヌ家2軒と,渡し舟と小休所があった(村垣淡路守公務日記)。当時の漁は「鮭鱒夥しく川上凡そ五十里も漁あり」という程であった(蝦夷日記)。安政3年はじめてヲタノホリの地名が記録に現れ,これは北見幌別(ホロベツ)川河口の北西約1kmにあった高さ15尺ほどの砂丘で,のちに歌登村の語源となった。また,ホロナイ(ホロベツ)の川幅は25~26間。アイヌ小屋2軒があって渡し守をしていた(廻浦日記)。翌4年ヲタノホリに,モウツから1里の一里塚があり,ホロヘツには小休所とアイヌ家2軒があった(東徼私筆)。明治2年北見国枝幸(えさし)郡に属す。同4年の記録では,北見幌別川は秋味ばかりでなく,ニシンも溯上するが,アイヌの労働力が不足して漁ができないとある(北見州経験誌)。明治5~6年頃も江戸期から引続いて小休所があり,ここから天塩川上流に通じる山道があった(闢幽日記)。同11年歌登村の一部となる。のち同12年頃の北見幌別川は,幅60間・深さ5尺,渡し舟と渡し守がいた(北地履行記)。同27年道路探検隊が幌別から山越えして,天塩川上流の音威子府(おといねつぷ)に向かった。同29年北海道庁の河野常吉が当地を通過し,幌別には漁場がなかったが,渡守・小商人・出稼人など7~8戸があり,オタヌプリは砂山の義で,北見幌別川河口の西凡そ10町にあると記録している(殖民状況報文北見国)。同29~32年にわたり,北見幌別川支流パンケナイ川などで砂金が発見され,同川沿い上流に赴く者がにわかに増加した。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7007981 |





