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紋別
【もんべつ】


(近代)昭和23年~現在の広尾町の行政字名。もとは広尾町大字広尾村の一部。地名はアイヌ語のモンベツ(静かな川の意)に由来する(新広尾町史)。松浦武四郎「廻浦日記」には「モンベツ,川巾三間と二十間斗と二瀬に流る。歩行渡りよろし。此処海岸鰯漁有し由にて其古漁屋有。人家昔は十六軒有しと,今はなし」と見える。明治29年から植民地区画測設が始まるが,それ以前にも無願開墾者が入地していた。区画地開放後片上六郎が豊似川上流に264万坪の農場を開設。営農のかたわら学校も創立した。現在も当地は片上と呼ばれ,彼の記念碑も建立されている。比較的土地条件にも恵まれ,農業を中心に発展した。許可移民は昭和2~13年の間に67戸,半数が定着。また明治31年愛知団体,同32年愛知・岐阜出身者が入地。来海宇平は尾張団体と称し,尾張地区が形成された。ほかに明治36年から紋別川流域に竹腰竹次郎ら富山県人が入植,越中紋別と称される地域を形成した。昭和7年,明治末期に設けられた来海宇平の牧場が開放され入植者が増加し,中紋別と称される地域を形成。昭和8年村有林300町歩が共同牧場となり混同農業の基盤ができた。中紋別の一部に,昭和10年大樹(たいき)の拓殖実習場出身者が入植し暁地区を形成。昭和6~10年にかけて凶作が続いたにもかかわらず人口は増加。昭和10年の世帯数・人口は紋別29・203,香福15・87,越中紋別10・79,愛国(和進)31・184,尾張14・90,同15年の世帯数は紋別30,香福15,越中紋別17,中紋別19,愛国22,暁26,尾張10。戦後は大樹集約酪農地帯の一環となる。行政区は豊似市街・紋別・東豊似。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7009093