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海老沼村
【えびぬまむら】


旧国名:陸奥

(近世)江戸期~明治初年の村名。津軽郡田舎庄のうち。蝦沼村とも書く(旧高旧領・国誌など)。青森平野の東北部に位置し,北側は青森湾に面する。西側は八重田村である。地名の由来は不詳であるが,嘉永3年の松浦武四郎「東奥沿海日誌」によれば,東接する原別村の記事の中に「此辺小海老多く取るよし」とあり,関係があるものと思われる。当村ははじめ柏木新田と称したともいう(浜館村誌)。のちの天保8年の郷村帳にも「蝦沼村,柏木新田事」と見える。弘前藩領。村高は,「貞享郷村帳」では寛文4年以降の新田と見え10石余,「貞享4年検地水帳」154石余(田147石余・畑屋敷6石余),「天保郷帳」には見えず,「旧高旧領」156石余。「貞享4年検地水帳」によれば,小字に「鶴見・浜野・露草・矢作」があり(のちの八重田村の小字と一致する),反別は田21町2反余・畑屋敷1町9反余(うち屋敷地1反余),田は上田から下々田まで,畑は中畑から下々畑まで設定されていた。このほかに開発可能地(田畑)6町余,芝野10町6反余,空地5町余,永荒地(田畑)1町7反余が見える。元禄3年には横内組に属し,村位は下(平山日記)。宝暦9年改の御郡中郷村位付帳(弘前図書館蔵)でも村位は下とある。当村は水田耕作を主とする村である。村民による荒蕪地の開墾はあまり進まず,享保7年から原別村の斎藤武兵衛が川を掘り替えて開田に成功し,西隣に八重田村を創立したという(青森市史)。村内に宝永2年新田完成を祈願して武兵衛が建立した稲荷宮があった(青森市町内盛衰記)。同社はのち八重田村中で再建される(青森市史)。明治4年弘前県を経て,青森県に所属。明治2年の諸組村寄帳(弘前図書館郷土資料目録7)では当村に「廃印」がついており,また,明治初年の「国誌」でも一村として見えず,「何の頃にか廃村となり……蝦沼は八重田村の所轄となる」とあり,このころにはすでに廃村状況にあり,八重田村に吸収されたものと思われる。なお,明治7年の県管内村名簿には村名が見えている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7010135