角川日本地名大辞典 東北地方 青森県 31 柏村【かしわむら】 (近代)明治22年~現在の西津軽郡の自治体名。岩木川中流の左岸に位置する。上古川(かみこかわ)・下古川・桑野木田・鷺坂・稲盛(いせ)の5か村が合併して成立。旧村名を継承した5大字を編成。村名の由来は,地域を象徴する柏の木にちなむという(西津軽郡史)。役場は桑野木田に設置。明治24年の戸数340・人口2,608,厩24,学校2(徴発物件一覧)。同37年木造(きづくり)町玉水・広須を編入,合計7大字を編成。同40年一部が木造町に編入。大正4年の戸数660・人口4,441,全戸数の約70%にあたる461戸が農業を営んでおり,うち自作110戸・自作兼小作142戸・小作209戸。耕地は田67町5反・畑23町8反余で,うち自作反別は田畑合わせて48町6反余,小作地が42町6反余。農作物は米が主で,作付反別64町6反余・収量1万1,075石,反当たりの収量1石7斗。粳米が1万385石と大半を占める。その他の産物の作付反別・収量・産額は,大豆93町・1,116石・8,930円,蕎麦3町・30石・150円,馬鈴薯25町・15万2,000貫・370円,菜種8反・96石・960円,茄子2町・8,000貫・640円,甘藍2反・5,000貫・300円,蘿蔔6反・4万5,000貫・900円,牛蒡6反・2,100貫・252円,胡瓜3町・1万500貫・525円,苹果5町4反・34万斤・6,800円。耕地のほとんどが馬耕されており,当村全体の犂数は500。また,養蚕も若干行われており,春蚕1・5枚・夏秋蚕0.5枚が掃立てられている。村内の桑園1町4反歩,桑木数7,450本。農家の副業として,縄・草履などの藁細工が行われている。漁業は鮭80貫・72円がある。工業従業者は,写真師1・桶職3・大工職9・木挽職2・鍛冶職2・提灯張職1・鋳掛師1。商業は,仲買2戸・小売8戸・卸売兼小売58戸数・行商28戸・貸金業4戸・湯屋1戸。出稼者は144人で,すべて漁業労働に従事しており,北海道と樺太が出稼先となっている(西津軽郡統計書)。同7年陸奥鉄道が開通。世帯数・人口は,同9年646・3,786,昭和15年732・4,514,同40年1,058・6,068,同55年1,777・4,832。昭和45年の産業別就業人口は,第1次産業2,125人(すべて農業),第2次産業236人(鉱業2・建築業156・製造業78),第3次産業569人(卸小売243,金融・保険・不動産8,運輸業49,電気・ガス・水道4,サービス業216,公務48,その他1),農家戸数824,うち専業267,第1種兼業354・第2種兼業203。同49年の耕地面積は,田770ha余・畑37ha余・果樹231ha余で,合計1,038ha余,1戸当たりの平均耕地面積1.2ha余。個人所有・共同所有による機械化が進展しており,コンバイン・ハーベスター・バインダー等の大型機械が導入されている。農産物は,米とリンゴが中心で,昭和45年の水田耕作面積725ha・推定収量7万9,750俵・売渡数量6万9,910俵,リンゴ耕地面積326ha・推定収量42万5,165箱・販売数量40万4,800箱。村内の出稼者616人で関東への就労が多い。学校は明治8年発足の柏第一小学校,同31年発足の柏第二小学校,明治9年発足の柏第三小学校,昭和22年発足の柏中学校がある。同40年北津軽郡鶴田町との間で,同41年木造町・森田村との間で境界変更実施,同52年鶴田町の一部を編入,同年森田村との間で,同54・55年に五所川原市との間で,同55・56年に木造町との間で境界変更実施。 KADOKAWA「角川日本地名大辞典」JLogosID : 7010439