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田名部
【たなぶ】


旧国名:陸奥

古くは田鍋・田南部と書いたという。下北半島先端部に位置する。西部には屏風山・釜臥山がそびえ,田名部川と新田名部川が沖積平野の中央部を貫流して南の陸奥湾に注ぐ。地名の由来は,長い川の湾曲した中の地の意味から起こったという(下北半島史)。地内には縄文前期の女館貝塚(土地造成により消滅)や縄文後期の最花貝塚などがある。また建武年間南部師行の目代赤星氏の館跡もある。のちに九州菊池氏の一族菊池正興がここに拠ったという(南部諸城の研究)。なお,西方の恐山中(山城の多くは下北郡大畑町に属する)にある宇曽利山湖およびその周辺の恐山温泉・地蔵堂などの地域は,むつ市の飛地であり,田名部の一部となっている。恐山は下北半島北部中央に噴出する円錐状の火山で,当地の飛地となっている北湖畔には数多くの硫気孔があり,日本三大霊場の1つとされる霊峰。地蔵堂は恐山の本堂で,慈覚大師開山伝説があり,享禄3年田名部円通寺の開山聚覚が再興にあたり山寺号を釜臥山菩提寺と改めたといわれ,本坊・宿坊などがあり,ほかに賽河原の地蔵堂,納骨堂などの堂塔がある。田名部・安渡などから恐山へ恐山参道が通じる。古くから南部地方では恐山は山中他界,すなわち死者の山と考えられ,人が死ねば死霊は「お山」(恐山)に行くと信じ,人が死んだことを隠語で「田名部へ行った」「恐山へ行った」などといった。毎年7月の夏の大祭で,死者供養のため境内でいたこ(巫女)が死者の語りを伝える口寄せが行われることでも有名。
たなふ(中世)】 鎌倉期から見える地名。
田名部村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
田名部村(近代)】 明治22年~31年の下北郡の自治体名。
田名部町(近代)】 明治32年~昭和34年の下北郡の自治体名。
田名部(近代)】 明治22年~現在の大字名。
田名部町(近代)】 昭和43年~現在のむつ市の町名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7011670