田面木
【たものき】

旧国名:陸奥
馬淵(まべち)川右岸の段丘上にあり,北端部をほぼ東西に三戸街道が走る。地内の字鶉窪の鶉窪遺跡からは縄文中期前の狩猟用円形落し穴,字韮窪の韮窪遺跡からは縄文後期の絵画土器,また字外久保・沼ノ平・上野道下タ・前平からは土師器などが出土。「三翁昔語」などによれば,永禄10年当地を支配していた櫛引氏が根城を攻撃したため,4年後の元亀2年に報復を受け,以後根城南部氏領になったという。万治3年,当地を訪れた盛岡藩の侍医渡辺益庵は「たもの木の里をすき根城をこえて八戸に至りて見れハ,いと大きにいみしく作れる城あり」と,その著「八戸紀行」に記す。
【田面木村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【田面木(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7011707 |





