100辞書・辞典一括検索

JLogos

48

伝法寺
【でんぼうじ】


旧国名:陸奥

相坂川(奥入瀬(おいらせ)川)南岸の台地上に位置する。中央を南北に奥州街道が通り,南端を奥入瀬川支流の後藤川が流れている。地名の由来は,奥入瀬川に面する字寺山にあった寺の名からつけられたといわれる。寺山には熊野神社があるが,これに関わる遺跡として寺山のカクラと呼ばれる祭壇跡,羽立(はだち)の五輪塔・角力場跡・経塚などがあり,伝法寺は寺山熊野神社の神宮寺であったとされる(寺山伝説考)。ほぼ中央に伝法寺館があり,後藤川東岸に羽立館がある。慶長3年の館持支配帳には「一,〈五戸伝法寺館〉四百石〈三ツ鱗月ニ兎〉津村伝右衛門」とあり,天正19年の九戸の乱に際し「七戸彦三郎は六戸伝法寺の城へ押寄息をもつがせず責けれ共,城主何も防ければ寄手悉く退散す」というように(南部根元記/南部叢書2),重要な役割を果たしていた。「上北郡村誌」には「里人ノ口碑ニヨリテ案スルニ,応徳三年四月日沼治部卿守古親王奥州ニ下向シテ六戸村(藤島村辺ノ事歟)ニ住シ,建久九年三月五日守古親王六世ノ孫日宮中務太夫,南部光行ニ仕へ承久元年十二月本館ヲ築テ此ニ住セリ,同二年南部氏ノ臣津村越後ナルモノ守行ノ命ヲ奉シテ本丸ニ住シ,日宮ハ二ノ丸ニ居リ,後年本丸ヲ戸館ト云ヒ又津村館ト称シ,二ノ丸ハ日宮館ト唱ヒ両家並ヒ住セリト云フ」とある。上伝法寺に八幡宮があり,祭神は応神天皇。慶長初年と推定される10月6日の南部信直書状に「七戸より洞内迄もち候者,あれより河はたまてもち候やうニことハり申へく候,河はたより沢田・切田・米田・伝法寺・新田まてもつ申候,新田より三戸へもつ申候」と見え,信直は木村杢に対して当地などを経由して材木を三戸に送ることを命じている(木村文書/岩手県戦国期文書Ⅰ)。
伝法寺村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
伝法寺(近代)】 明治22年~現在の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7011880