十和田湖
【とわだこ】

上北郡十和田湖町南西部にある湖。西半部は秋田県小坂町に属す。面積59.8km(^2)・周囲44km・最深326.8m・水面標高400m。ほぼ四角形をした二重式カルデラ湖。湖名は,山奥の湖を意味するアイヌ語に基づくとされる。南岸には,東に御倉半島,西に中山半島が突出し,東から外湖(そとのうみ)(東湖)・中湖(なかのうみ)・内湖(うちのうみ)(西湖)の3つの湾を形成する。十和田八幡平国立公園の代表的な地区。湖の成因は,新生代第四紀の十和田火山の活動による。まだ解明されない部分も多く残されているが,新生代新第三紀の地層で構成される奥羽山脈北端部の断層線に沿って活動を始めた火山である。那須火山帯に属し,当初,石英安山岩や輝石安山岩の活動によって平頂な火山錐が形成された。次に,この中央部がほぼ四角形に陥没し,この周囲が御鼻部(おはなべ)山・十和田山・白地山などの外輪山として現存する。その後,しばらく平静を保っていたが,再び爆発を伴う激しい火山活動が始まり,この結果,コニーデ型の中央火口丘が形成された。活動の終期には御倉山と御門石(みかどいし)の火山性円頂丘が突出,続いて中央火口丘の頂上部が陥没して中湖となった。最深部はここに存在する。また,この時,円頂丘御倉山の西側も陥没して,名所の1つ千丈幕の大溶岩壁を現出したと考えられている。外輪山の内側は急峻で,場所によっては絶壁をなしており,この火山内部の成層状態を観察できる絶好のフィールドである。一方斜面には,トチ・カツラ・サワグルミ・カエデ類・ブナなどの落葉広葉樹が生育するが,湖の風景を代表する御倉・中山両半島にはヒメコマツ・アカマツなどの針葉樹が混生しており,岩壁と呼応し,景勝地となっている。清澄な湖水は,透明度15m,フォーレル第3号に相当する藍色を呈し,四囲の山容,天空を映し出す。生育する魚種はニジマス・ヒメマス・コイ・フナ・カジカ・ワカサギなどであるが,いずれも養殖放流によるものとされる。ベニザケの陸封型であるヒメマスは,この湖の名物となっているが,これは明治36年に和井内貞行が放流し,成功をみたものである。流入する河川は,わずかに神田川・大川沢・宇樽部(うたるべ)川などであるが,いずれも湖岸に小規模な扇状地を形成し,休屋(やすみや)・宇樽部などの集落が立地する。流出する河川は,子ノ口(ねのくち)を起点として,太平洋に注ぐ火口瀬,奥入瀬(おいらせ)川のみである。湖には数多くの伝説があるが,八郎太郎と南祖坊の湖の主争いは代表的な話。南部斗賀(とが)村(現田子(たつこ)町)の南祖坊が熊野にもうで,修行の末熊野権現の神示を得て諸国を巡り,十和田湖に入った。ここで八郎太郎を追いやって湖の主となり,十和田青竜権現として信仰されるようになったという。この話にちなむとされる十和田神社は休屋にある。現在,休屋は十和田観光の中心地となっており,十和田科学博物館・水族館などの教養娯楽施設があり,近くの御前ケ浜には高村光太郎作の乙女の像がたつ。7月中旬,郷土芸能・湖水カーニバル・花火大会などを盛り込んだ十和田湖湖水まつりが開催される。また,子ノ口は,名勝奥入瀬渓流の起点,休屋と結ぶ観光遊覧船の発着場としてにぎわう。明治41年,当湖を訪れた大町桂月が,雑誌「太陽」に紹介したことから,一躍脚光を浴びるようになった。湖を一周する道路の完成とともに,湖岸には数々の観光施設が建設されている。青森市から至る通称十和田北線(主要地方道青森十和田湖線・国道102号),黒石市から至る十和田西線(国道102号)のほか,十和田市・三戸郡五戸町・秋田県側から入る道路がある。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7012030 |





