根城
【ねじょう】

旧国名:陸奥
馬淵(まべち)川右岸に位置し,北部を三戸街道(国道104号)が東西に走る。中世城郭の根城があり,建武元年甲州波木井の地頭であった南部師行が国代として当地に居城し,寛永4年遠野に移封されるまでの293年間,根城南部氏の本拠地となった。八戸家伝記(南部家文書)に「当時国司祝云,是奥塞之根柢也,以可称根城」とあり,建武元年陸奥国司の北畠顕家が師行の築城を祝し,根城と命名したという。しかしこれは後世の作であることから,史実としては疑わしく,少なくとも中世期には根城という城名および地名は見当たらない。根城南部氏は9代長経から八戸氏を名乗り(至徳4年前信濃守清継契約状/遠野南部文書),天性20年の諸城破却書上(篤焉家訓)にも単に八戸とあることから,むしろ八戸城と称し,一帯を八戸と呼んだものと考えられる。本丸・中館・東善寺館・岡前館・沢里館の5郭からなる根城跡は国の史跡(昭和16年指定)。東構・岡前などを中心に奈良・平安期の遺構もみられる。築城年代ははっきりしないが,建武年間以前に工藤氏の存在が知られることから(建武元年多田貞綱書状/遠野南部文書),同氏の居城であったとも推測される。城の東側に侍屋敷,北側には町人屋敷が配置され,それぞれ上町・下町と称された。下町の小名が現在に残る。中世,馬淵川は現流路の北を流れていたといい,現長苗代地内に二日市・紺屋町などの小名も残ることから,下町は対岸一帯にまで広がっていたものとみられる。社寺に妙泉寺・東善寺・善応寺・常福寺・瑞応寺・八幡社・期足社・稲荷・山谷観音・熊野社のほか,松崎観音や常宗寺・宝泉寺・禅源院などがあったとされるが(南部諸城の研究),多くは不明。柳元(竜源)寺や天聖寺も置かれたという。地内の牛ケ沢からは縄文中期から晩期にかけての土器・土師器が出土。
【根城村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【根城(近代)】 明治22年~現在の大字名。
【根城(近代)】 昭和50年~現在の八戸市の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7012312 |





