二子通
【ふたごどおり】
旧国名:陸奥
(近世)江戸期の盛岡藩の通名。同藩の郷村支配のための地方行政区域の1つ。和賀郡・稗貫(ひえぬき)郡のうち。笹間通ともいい,近世中期以降は二子通の呼称を使うことが多い。「邦内郷村志」では二子県と見える。当通の設置年代は不詳であるが,「邦内貢賦記」の天和2年のものと推定される記事に当通の名が記載されていることから,この頃までにはすでに存在していたと考えられる。「県史」5では,寛文6年~天和3年の総検地実施過程で確定されていったものと推定している。「邦内貢賦記」によれば,所属の村は二子・成田・飯豊・滑田・新平・笹間・栃内・横志田・尻平川・轟木・大田・西拾二丁目・外台の計13か村,惣高は5,089石余,うち27石余は諸役御免(ただし物成は上納),平均年貢率は3割6分8厘7毛,年貢収納米は1,876石余(うち大豆101駄)。「邦内郷村志」によると,所属村は和賀郡二子・村崎野・飯豊・栃内・笹間・横志田・尻平川・轟木・成田・十二丁目,稗貫郡太田・外台の計12か村,総高は1万4,267石余で,うち蔵入地9,291石余・給地4,976石余,安永9年の戸数1,331,寛政9年の馬数1,582,産物は万丁目通も合わせて片栗粉・鉛・干蕨・紅花・瀬戸物類・木地挽物類・干蕨薇・皮茸・胡麻・白土。「本枝村付並位付」では,享和3年の村数14,家数1,462。天保8年の「御蔵給所惣高書上帳」では村数12,総高は1万4,284石余で,うち御蔵高9,494石余・給所高4,789石余。代官所は,花巻八代官所の1つとして万丁目通と合わせて里川口大工町に置かれ(県史5),「公国史」所収の「官職志」によると,代官所の役人数は代官2・下役2・植立奉行1(所給人)・御山奉行(下役兼務)。当通の村々は,明治元年維新政府の管轄となって松本藩取締の下に置かれ,以後江刺県・盛岡県などを経て,同5年岩手県に所属することになる。現在の花巻市と北上市の各一部にあたる。
| KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7015991 |