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南鬼柳村
【みなみおにやなぎむら】


旧国名:陸奥

(近世)江戸期の村名。和賀郡のうち。北上川の支流和賀川の下流右岸に位置する。鬼柳の地名の由来は,和賀川べりに楊柳や荻が密生していることから荻柳(おぎやなぎ)と称され,それが鬼柳に転じたとか,老柳(おいやなぎ)あるいは淵柳の転じたものなどの説があり(鬼柳村誌),北鬼柳に対する。中世に鬼柳氏が領有した鬼柳村(郷)が近世に南北2か村に分かれて成立。盛岡藩領。鬼柳通に属す。村高は,「正保郷村帳」では南鬼柳と見え983石余(田896石余・畑86石余),「貞享高辻帳」1,155石余,「天保郷帳」1,827石余,「安政高辻帳」1,465石余。寛文検地以降貞享年間頃当村が上鬼柳村と下鬼柳村とに分村したとみられ(管轄地誌・北上市史),「邦内郷村志」「本枝村付並位付」「旧高旧領」などには上・下2か村に分かれて記される。盛岡藩領内では江戸中期から上・下2か村として把握されていたが,幕府に対しては南鬼柳村一村として届けられていたのであろう。「仮名付帳」によれば地内に新町・本町が見え,両町は駅場を構成し1か月交代で人馬の継立を行うとある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7016189