郷六
【ごうろく】

旧国名:陸奥
広瀬川下流域の南北両岸の段丘に位置する。地名の由来については,中世国分郷六氏が居城したので郷六の地名になったといわれているが,郷六氏は「郷六」なる地名から出たとすべきである。深い峡谷に阻まれて流れ下ってきた広瀬川が,狭小な郷六の盆地に流入して三角地帯を形成して幾筋かの江流が流れて6つの地域に分かれていたので,郷六と表現されたと考えられる(宮城町誌)。文治5年源頼朝の奥州合戦に際し,千葉常胤の五男五郎胤通も父に従って参加し,功により宮城郡国分荘を賜り,郷六に居城したとも,また建久7年国分盛政が霞目(かすみのめ)城から郷六城に移り国分郷六氏を名乗ったとも伝える(国分系図・宮城町誌)。しかし千葉系の平姓国分氏は本来下総で国分氏を名乗っていること,「余目記録」によればこの国分氏は秀郷流藤原氏とされること,もと当地にあった宇那禰大明神社の棟札には国分郷六氏が藤原長沼氏を称していること(封内風土記)などから出自には問題があり,むしろ秀郷流長沼氏の分かれとすべきかとも思われる。ただし戦国期郷六に本拠を置き国分三十三郷を領したという伝えは信じてもよい。
【郷六村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【郷六(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7017627 |





