元西馬音内村
【もとにしもないむら】

(近代)明治22年~昭和30年の雄勝(おがち)郡の自治体名。西馬音内堀廻(にしもないほりまわり)・飯沢2か村が合併して成立。大字は旧村名を継承,2大字を編成。合併は県の指導による。村名は明治10年すでに前郷村が西馬音内村を称したので,当村は西馬音内発祥の地という歴史の背景により命名。元西と略称する。面積50.2km(^2)。成立時の戸数248・人口1,479。村役場は堀廻字菻(がつき)(のち堀廻字元城(もとき))に設置。東接の西馬音内町と関係が深く,明治44年には当村のうち田104町・畑14町・山林原野855町歩余が西馬音内町地主の所有地であった(西馬音内町統計台帳)。明治27年8月25日西馬音内川の大洪水で,流失家屋43・流死人22人の被害があった。日清戦争2人・日露戦争7人・第2次大戦124人の戦没者を出す。飯沢小学校・元西馬音内小学校(西馬音内堀廻小学校を大正9年改称)・元西馬音内中学校(昭和22年開設,同47年羽後中学校に統合)がある。昭和8年雄勝鉄道が当村の麓まで開通。昭和30年西馬音内町・三輪村・新成(にいなり)村・田代村・仙道村,明治村の一部と合併して羽後町成立。2大字は羽後町の大字に継承された。当時の戸数585・人口3,554,田267町・畑130町・山林原野1,251町歩(うち国有林321)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7023152 |





