柏沢村
【かしわざわむら】

旧国名:出羽
(近世)江戸期~明治8年の村名。最上地方,最上川の支流角川下流沿岸に位置する。最上郡のうち。新庄藩領。古口郷に属す。正徳2年古口村から分村して成立。村高は「吉村本新庄領村鑑」では明和3年・文化元年ともに37石余,「天保郷帳」では古口村枝郷と見え32石余。当村は,本来は田川郡の柏谷沢村(現飽海(あくみ)郡松山町)と一村であるが,村内は新庄藩領と田川郡のうちの庄内藩領とに分かれ,行政的にも区別されて新庄藩領を柏沢,庄内藩領を柏谷沢と呼んだ。新庄(現新庄市)から酒田(現酒田市)への御用村継所に当たり,百姓・名子ともに20人高の助郷役を課せられていた。柏沢から古口までは最上峡と呼ばれる山峡地であるため陸路がなく,交通は舟運に頼るほかなかった。そのため難破船の救護や避難,薪水の補給,酒田屋敷の用便などの必要から古口村への移住を請願したにもかかわらず,毎年16俵の下賜米(新田本新庄領村鑑では隔年18俵)と隔年ごとの年貢免除となり,文化11年からは年貢半納という条件で1村として維持された。これは舟運交通の要地にあたるためで,古くは足軽番所があったが,享保年間より船改薪役および境番が置かれ,井上四郎左衛門が帯刀御免・4人扶持を与えられてその任に当たった(吉村本新庄領村鑑)。当村の反別は明和3年・文化元年ともに3町余うち田方2町余,年貢高は明和3年・文化元年ともに36俵余うち田方31俵余,家数・人数は寛政6年19軒・101,文化9年17軒・95(同前)。明治8年古口村・真柄村と合併して古口町村となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7024322 |