八日町①
【ようかまち】

旧国名:出羽
(近世~近代)江戸期~現在の町名。明治17年から一時期山形を冠称。江戸期は山形城下のうち。東は三日町,西は五日町,南は鉄砲町,北は十日町・二日町に接する。源頼義が前九年の役後創建したと伝える柏倉の八幡社を,斯波兼頼が延文5年に当地に移建し,その後門前町が形成され,8の日に市が立ったことから八日町となったと伝える。最上義光によって出羽三山詣りの道者宿の特権が与えられたのは,慶長5年,上杉勢との戦いに,戦勝を願って誓願寺の尊養が町民108人とともに48日の湯殿山籠りをした褒美であったと伝える(誓願寺文書)。以来各地からの出羽三山詣りの道者宿町として繁盛した。寛文13年の領地目録(家世実紀)では高2,211石余。「寛文印知集」には「八日町村」と見える。元禄年間の屋敷数180軒半(検断・組頭・升取・小走・御馬宿無役32軒・役屋敷148軒半),借家・店借59,人数868(山伏8・医者1・法体1・尼3),高2,058石余,田67町余・畑13町余,百姓131,自身番所2,辻番所4(山形城下新古銘細記/山形市史資料40)。「東講商人鑑」に当町の商人として呉服太物店三都小間物類河内屋近兵衛・万太物類米沢屋儀兵衛・きんりう丸黒田玄仙,ほかに呉服商3人が見える。天保13年の村山石高帳および「旧高旧領」とも高2,212石余。明治8年八日町学校が開智学校から分離独立。明治11年の一覧全図では,反別116町1反余,戸数194・人口1,077。同22年山形市の町名となる。昭和26年の世帯数449・人口2,126。昭和40年から同51年にかけての住居表示実施により,三日町・香澄町・二日町・鉄砲町などの各一部を編入して1~2丁目が成立し,同時に一部が幸町・南栄(なんえい)町1~3丁目・南四番町・南二番町・十日町1~4丁目・上(うわ)町1~5丁目・五日町・春日町・清住町1~3丁目・城南町1~3丁目・双葉町1~2丁目・籠田(かごた)1~3丁目・香澄町1~3丁目の各一部となる。昭和43年から同49年にかけての土地改良事業により一部が高堂・飯沢・砂塚・中沼・南石関・黄金・西崎・立道・豊原などの各一部となる。わずかに残る住居表示未実施の八日町も昭和60年度までに住居表示実施予定。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7028186 |





