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蕨岡上寺村
【わらびおかうわでらむら】


旧国名:出羽

(近世)江戸期~明治初年の村名。庄内地方,庄内平野北部,日向川右岸に位置する。地名の由来は,鳥海山蕨岡修験の坊が多く,丘陵上にある寺という意による。飽海(あくみ)郡のうち。庄内藩領。遊佐郷に属す。寛永元年の庄内検地高辻には見えず,これより以前に蕨岡村から分村した。村高は,「天保郷帳」166石余,「旧高旧領」306石余。明暦2年の検毛帳(飽海郡誌)では144石余,幕末期の「荘内要覧」によれば,村高162石余,免6ツ5分,家数43軒,村高のうち新田が18石余,新田免4ツ4分。鳥海山竜頭寺は醍醐寺三宝院末寺で,松岳山観音寺と称し,例年郡中村々には護符をだし,宝永3年には本山常法談林所寺格となった。明治3年の神仏分離により,別当は学頭職をやめ真言宗を相続した。同寺境内には観音堂があり,十一面観音を本尊とし,上寺33坊は観音堂の別当衆徒の坊宿をつとめた。大物忌神社は倉稲魂命を祀り,鳥海山頂にある大物忌神社を本社とする拝殿であり,慶長年間には最上氏,元和年間には庄内藩の神領寄進があった。同社は元文年間には桜町天皇から正一位の神階位と勅額を受け,江戸期は鳥海山への参詣者で賑わい,境内には正徳年間の板石塔婆や鳥海山参拝碑,天明2年の石灯籠がある。また,村内の坂ノ下の石鳥居は文化11年の建立である。荘照稲荷神社は,弘化3年に佐藤藤佐が庄内藩の長岡転封阻止のために尽力した江戸町奉行矢部駿河守の霊を祀るために建立したものである。明治初年上蕨岡村と改称。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7028488