上松川村
【かみまつかわむら】

旧国名:陸奥
(近世)江戸期~明治6年の村名。中通り南部,阿武隈(あぶくま)山地の南端,鮫川沿岸に位置する。白川郡のうち。はじめ岩城領,慶長7年幕府領,同8年下野黒羽藩領・下野大田原藩領,元和8年棚倉藩領,享保14年からは幕府領(はじめ竹貫陣屋のち塙陣屋支配)。松川村が江戸初期に上松川村・下松川村に分村して成立。慶長8年の常世北野村縄打には当村名が見える。村高は,宝暦11年の御巡見様御案内帳(水野家文書)では750石余,「天保郷帳」では「古者 上松川村・下松川村・道下村・八ケ久保村・桑原村・樫木沢村・小松川村・滝平村 八ケ村」とあり松川村として1,648石余,「旧高旧領」では751石余。宝暦年間の家数105軒・人数476(男268・女208),馬68(御巡見様御案内帳/水野家文書)。神社は,雷八幡宮・松尾明神・天神宮など。寺院は真言宗横川山長福寺など。明治6年下松川村と合併し,松川村となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7030298 |





