郡山盆地
【こおりやまぼんち】

福島県中通り中央,郡山市の阿武隈(あぶくま)縦谷の中流域に広がる構造盆地。西は奥羽山脈,東は阿武隈山地に囲まれ,盆地床は狭義には東北15km・南北13kmに及ぶ。広義には北の本宮(もとみや)盆地,南の須賀川(すかがわ)盆地までも含めて郡山盆地と呼ぶこともある。この盆地床の地形は4つに大別される。⑴標高250mの台地で郡山市の中心市街地西部,片平・喜久田・日和田一帯を含む地形面を郡山面(対面原面)と呼ぶ。⑵郡山市街地西部の大槻(おおつき),多田野一帯に分布する平坦面で大槻扇状地面と呼ぶ。⑶逢瀬川が郡山面を開析したために生じた西ノ内面とこれより新しい新屋敷段丘面がみられる。⑷阿武隈川流域一帯の谷底平野である。この盆地の低地の開発は古いが,台地面の開発は明治以降,まず開成社(地元富商が開拓を目的に結社した組織)によって開始され,以後政府事業による安積(あさか)開拓が進められる。大規模な開拓および疏水による灌漑で,かつての原野は水田を主とした土地利用に大きく変化し,県下でも有数の米どころとなった。一方,中心都市の郡山は,明治以降恵まれた水資源・電力等を背景に,生糸を主とした繊維工業,大正以降には化学・機械等の工業化が進み,「東北の大阪」「工都郡山」とさえいわれるようになった。昭和39年には新産業都市に指定され工業化は一段と進展。鉄道は国鉄東北本線のほか国鉄磐越東線・磐越西線・水郡線の便があり,昭和56年には東北新幹線も開通の予定。道路も国道4号・同49号・東北自動車道などの幹線道路が発達しているため,企業の進出も盛ん。こうした背景から最近では「商都」とか「経済県都」と呼称されている。人口28万人,その増加数も県下一で,県中・県南の中核都市として発展している。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7030848 |





