河和田
【かわわだ】

旧国名:常陸
千波湖西方の台地に位置する。縄文時代の圷遺跡,街道端古墳群がある。当地の河和田城は延文元年大掾氏の家臣鍛冶弾正貞国(川和田入道)が築城したという。その子貞基のとき,河和田城は佐竹氏の家臣江戸通房に与えられ,応永末年通房が水戸城に移ったのちは家臣春秋氏が天正18年まで居城。城は本丸を外郭で取り囲み,五重または六重の土塁,三重または四重の空濠がめぐらされていた。規模は東西約510m・南北600mに及び,戦国後期の平城と推定される(水戸市史)。
【河和田村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【河和田村(近代)】 明治22年~昭和30年の東茨城郡の自治体名。
【河和田(近代)】 明治22年~昭和33年の大字名。
【河和田町(近代)】 昭和33年~現在の水戸市の町名。
【河和田(近代)】 昭和50年~現在の水戸市の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7036675 |





