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猪倉
【いのくら】


旧国名:下野

今市扇状地,田川・赤堀川などが形成した沖積平野に位置する。地名の起こりは,天慶年間平将門が下野に来て藤原秀郷に会った際,ともに飯を食ったという古事から飯喰村になり,のち転訛したものという。また猪鹿などが多く住む地域の意から猪倉と称したという口碑もある。縄文・弥生時代の遺跡が多く,山本遺跡(字山本,阿玉台・加曽利EⅠ式など縄文中期)・栗畑遺跡(字関ノ上,黒浜・諸磯B・C・加曽利B式など縄文前期~後期と弥生中期の土器を伴う)・箱ノ森遺跡(字名同,黒浜・阿玉台・加曽利EⅠ式など縄文前期~後期)・犬塚遺跡(字犬塚,阿玉台・加曽利EⅠ式など縄文中期),弥生中期の柳戸遺跡などがある。観音寺山頂には猪倉城跡がある。同城は正応年間佐野氏の一族鹿沼氏の築城とする説と,大永年間鹿沼の支城として築城されたとする2説がある。猪倉城跡のふもとの共同墓地にある慶長5年銘渡部家供養塔に「野州猪倉郷」と見える。この供養塔碑文によれば,猪倉城主の鹿沼右衛門の家老渡部氏は猪倉に居住し,この塔を建てたのは渡部勘解由重綱であることがわかる。これより先の天正4年2月,鹿沼坂田山城主壬生綱雄は叔父壬生周長(徳雪斎)のために暗殺され徳雪斎は直ちに鹿沼城を占領し宇都宮氏の家臣芳賀氏を後楯とし猪倉城主鹿沼右衛門らと壬生氏攻略を企てたが綱雄の嫡男壬生上総介義雄によって討滅された。鹿沼右衛門も戦いに敗れ板橋将監に殺されたという(壬生記)。なお,今市市大沢の小字名として陣場があり鹿沼氏と板橋氏が合戦に及んだところと伝えられる。また猪倉の小字名に鍛治内がありあるいは鍛造にちなんだ地名かとも考えられる。
猪倉村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
猪倉(近代)】 明治22年~現在の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7040739