佐貫
【さぬき】

旧国名:下野
讃岐とも書いた。泉川が鬼怒(きぬ)川に合流する付近の沖積地に位置する。地名の由来については,天平神護元年に讃岐国の郡司藤原富正が来訪して持仏の聖観音を洞窟に安置したことにちなむと伝える。この洞窟は鬼怒川に南面して聳立する観音岩にあるが,同所には縄文時代の佐貫観音遺跡がある。同所から東へ約300mの琴平神社脇には船生ストーンサークル遺跡があり,東西47m・南北48mの円形に河原石が並列された環状列石で,縄文中期のものと推定される。また,中心集落の南端には縄文集落跡の佐貫遺跡もある。高さ64mの観音岩に線彫された佐貫石仏は,約18mの大日如来像で宝冠をいただき智拳印を結び蓮華に座し,大同2年弘法大師一夜の作といわれる。また石仏の上部巌面絶壁には,奥の院と呼ばれる御宝蔵があり,宝物には湖州鏡や源義家の乗鞍・純金観音像(約6cm)があるとされ,氏家勝山城初代城主橘公頼献上の銅製曼陀羅などがあり,60年に1度開帳されている。
【散伎郷(古代)】 平安期に見える郷名。
【讃岐郷(中世)】 鎌倉期に見える郷名。
【佐貫村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【佐貫(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7041982 |





