前弥六
【まえやろく】

旧国名:下野
那須野ケ原台地のほぼ中央に位置する。古くは,北弥六とともに「弥六小屋(弥六郷屋)」であったと思われ,のち二分して,江戸前期には「前弥六小屋」とも称した(室井家文書)。弥六小屋の地名の由来については,弥六という人物が開いた所で「小屋」は草創の数戸の人家を意味するという説(那須郡誌)と,鎌倉幕府初代将軍源頼朝による那須野の巻狩の際(建久4年),武士や勢子の宿泊した小屋にちなむという説(黒磯市誌)とがある。前弥六の開拓者は北弥六から出たといわれる(東那須野村郷土誌)。古地図を見ると集落は南部にかたまっており,耕地は西方に伸びている。そして,北弥六との境界は,中央部で不自然に入り組んでいる。水利に乏しく,飲用水は深い井戸(深さ15~20m)を掘って共同で利用した(東那須野地区における古井戸の研究)。
【前弥六村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【前弥六(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7043682 |





