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下高浜村
【しもたかはまむら】


旧国名:上野

(近世)江戸期~明治2年の村名。群馬郡のうち。烏川中流左岸の台地上に位置し,標高180~132mの北高南低の地形になっている。正保3年高浜村から分村。はじめ安中(あんなか)藩領,寛文2年幕府領,同6年三河中島藩領,同12年幕府領,延宝6年安中藩領,天和元年安房勝山藩領。承応3年の安中領高浜村御縄打水帳(木暮弥太郎家文書/久留馬村誌)では,村高・反別の記載は上高浜村・下高浜村に分かれていないが,屋敷1反歩・庄屋2人分御縄除とあり,分村のことがうかがえる。村高は,「元禄郷帳」で253石余,寛保2年の中山道板鼻宿伝馬助郷割替訴状(木暮弥太郎家文書)には232石余,宝暦13年の御領分7か村手鑑(同前)によれば232石余,反別は37町5反余のうち田方7町余・畑方30町余,新田5石余,除地駒形明神境内1反余ほか500坪,「天保郷帳」258石余,嘉永元年中山道板鼻宿寄場改革組合村石高帳(福田家文書/県史資料編10)によれば,232石余。当村は榛名山東南麓中野秣場札元13か村の1つ。元禄年間に室田3か村内野秣場と境論が起こり,同17年裁許(新井宗雄家文書)。宝暦10年には中野秣場野付6か村と札元13か村との間に争論が起きている(神沢家文書/県史資料編10)。安永3年には西明屋村と入会境論があった。中山道板鼻宿助郷村の1つで,寛保2年板鼻宿助郷御伝馬割替訴状(木暮弥太郎家文書)によれば,上高浜村・本郷村などと,保渡田村・下柴村・生原新田への助郷割替願を出している。字上ノ代の曹洞宗高源寺は,元亀元年坂上砦城主木暮八右兵衛門が鬼門除として開基,開山は東庵文佐と伝え,現在の堂宇は宝暦4年再建(木暮弥太郎家文書/久留馬村誌)。字広開戸の曹洞宗長信寺は,箕輪城主長野氏の臣高浜砦城主鷺坂常陸介長信開基,下室田村長年寺の学州是芸開山(長年寺文書),慶安2年の朱印写(稿本久留馬村郷土誌)では26石余,「元禄郷帳」では21石余。享保16年の上高浜村喜三郎寺請状(木暮政彦家文書),文化10年三子沢村宗門改帳(新井博家文書/久留馬村誌)によれば,上三子沢・中三子沢地域は長信寺宗門となっている。現在の堂は昭和31年全焼後再建されたもの。なお上高浜村との村境と思われる字駒形の駒形神社は,永仁6年写の上野国神名帳(総社神社文書など)に記されている正五位駒形明神と推定されているが,上高浜・下高浜両村の鎮守社となっている。幕末の改革組合村高帳によれば,板鼻宿寄場組合に属し,高232石余,家数34。明治2年高浜村の一部となる。




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「角川日本地名大辞典」
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