角川日本地名大辞典 関東地方 群馬県 22 長年寺【ちょうねんじ】 群馬郡榛名(はるな)町下室田にある寺。曹洞宗。山号は室田山。本尊は釈迦牟尼仏。延徳3年に鷹留城主長野業尚が雙林寺3世曇英慧応を招請し,翌明応元年に開山したとも,文亀元年の創建ともいう(長年寺縁起・日本洞上聯燈録)。曇英は文亀2年8月に定書を書き(長年寺文書/県史資料編7),永正元年10月14日に寂したが,嗣法の10人が曹洞宗の教線を大いに広めた(日本洞上聯燈録)。永正9年6月には上杉憲房の禁制を得ている(長年寺文書/県史資料編7)。長年寺は長野氏の菩提寺となる。しかし永禄4年武田信玄が西上州に侵攻し,7世受連は信玄の制札を得て寺を守った。戦乱のため門前の200人余の僧俗は離散し,付近の神社・仏閣はことごとく焼失したが,永禄6年12月5日の出兵時にも制札を得て寺を持続したと,永禄10年3月7日の受連覚書に記している(同前)。武田氏は元亀3年閏正月9日の高札,天正4年の定書,同10年の禁制などを出している(同前)。10世英長は今川義元の子で,江戸に長延・万昌の2寺を創立し,仏照円鑑禅師の号を賜わる。寛永10年の本末帳に上野(こうずけ)国我妻郷の林昌寺の末寺で「三十石程御縄外在之」と記し(本末帳集成),同19年に室田村内で朱印50石を給された(寛文朱印留)。寛文13年6月8日16世寅の時火災により堂宇ことごとく焼失,以後3回火災に罹る。境内には曇英以下歴代住職の墓42基と鷹留城主長野氏7代の五輪塔などがある。寺宝には曇英筆跡4葉,受連手記,長野憲業の壁書,武田信玄高札,井伊直政書簡など戦国期の文書が多くあり,朱印状は徳川家光以下5通が現存している。また,榛名山満行権現献茶の湯水とした満行水と号する池がある。往時当山の住持交代入院の節榛名山へ血脈を納め,雨乞いには榛名山へ直参するなど榛名山信仰とは深い関わりをもった(榛名満行大権現縁起)。境内にも榛名満行大権現が勧請されている。 KADOKAWA「角川日本地名大辞典」JLogosID : 7046172