中根田島村
【なかねたじまむら】

旧国名:上野
(近世)江戸期の村名。新田郡のうち。利根川支流石田川左岸に位置し,中央を高寺川が南へ貫流する。地名の由来は,「郡村誌」によると,平坦で四囲田圃擁遶し,中間に宅地および畑地が多く,その形が州島に似ているため称したとあるが,一説には中世の頃の田島郷が上・下2つに分割した際その中間に位置することから,中の田島が変化したのではないかという。はじめ館林藩領,寛永20年幕府領,のち甲斐府中藩領,寛文元年武蔵岡部藩領(郡村誌)。村高は,「寛文郷帳」で788石余うち田方426石余・畑方361石余,「元禄郷帳」788石余。明和元年の村明細帳によると,反別は田32町9反余・畑45町4反余,家数49・人数195,作馬5(村明細帳の研究)。天保13年の村高人別家数帳では,家数37・人数154,馬8(同前)。「天保郷帳」に中根村と見え,古くは中根田島村と記されている。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7046397 |





