100辞書・辞典一括検索

JLogos

60

西応寺町
【さいおうじまち】


旧国名:武蔵

(近世~近代)江戸期~昭和39年の町名。芝(しば)を冠称。天正19年11月西応寺に家康から下付された境内拝領地のうちで,西応寺領分であったところに,慶長12年に町屋が許可された。古町の1つと伝えるが,江戸初期成立門前町にある例のように門前の語を町名のなかに含んでいない。しかし沽券地町屋で西応寺へ年貢を納めている。寛文2年町奉行支配となる。享保14年7月,町域の西通り・北通りのうち857坪余を用地に召し上げられ木挽町3~4丁目の裏通り広小路に同坪の代地を与えられたが,天明5年2月同代地はさらに上納地となり,木挽町4丁目裏通り馬場と同所の上納地跡へ移った。近世末に町域は西応寺(安政5年7月日本最初のオランダ公使館)境内の全周囲と,ほかに七軒と呼ぶ飛地が,当時の芝金杉裏4~5丁目にあった。町域には付近の了善寺・法泉寺所有の沽券地があった。文政10年の家数379軒,うち家持21・家守36・地借8・店借264(町方書上)。町内に北町・西町・南町・ハラ丁の俗称があり,南の入間(いりあい)川(「いるまがわ」とも)に廻(まわり)橋とも西応寺橋とも呼ぶ橋が架かっている。明治元年東京府に所属。同2年芝金杉安楽寺門前を合併。同5年に西応寺と法泉寺の境内を合併し,この町域が昭和39年まで続いた。明治5年の戸数186・人口691,人力車32両が比較的多い(府志料)。同11年芝区に所属。同44年芝の冠称を除いたが,昭和22年港区に所属,再び芝を冠称して芝西応寺町となる。昭和39年,現行の芝2丁目23~26番および15・27~31番の一部。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7060698