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下赤塚
【しもあかつか】


旧国名:武蔵

白子(しらこ)川下流の東岸,荒川と新河岸(しんがし)川の南方。川越(かわごえ)街道が村の南端を東西に走る。中世の赤塚6か村の1つ。村名の由来は,松月院門前の塚名による。中世の赤塚郷の中心地。暦応3年4月8日の中岩円月の銘文のある鐘で有名な阿弥陀堂は大堂と呼ばれ,建武~延元年間頃の起立といい,泉福・真福両寺が両別当。上6坊・下6坊があったと伝え,小名に上寺家・下寺家があった。永禄4年上杉謙信の小田原攻めのとき12坊は消滅。曹洞宗万吉山宝持寺松月院の開山は曇英慧翁(永正元年10月14日没),開基は松月院殿南州玄参,俗名を千葉自秀といい,永正3年6月23日没。鎮守の十羅刹・諏訪合社(諏訪神社)の正月13日の田遊祭は,古雅な祭として都技芸に指定された。また西北方の千葉氏城址は,康正2年正月千葉自胤の移住と伝え,城下には現在郷土資料館が開設されている(新編武蔵)。
下赤塚村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
下赤塚(近代)】 明治22年~昭和7年の赤塚村の大字名。
下赤塚町(近代)】 昭和7~47年の板橋区の町名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7061262