東京府
【とうきょうふ】

(近代)地方公共団体の府名の1つ。東京都の前身。慶応4年7月17日(9月8日明治と改元)から昭和18年6月30日までの75年間存置。「江戸ヲ称シテ東京トセン」との東幸の詔書と同日発せられた鎮将・東京両府設置の布告に基づいて開設。同年5月設置の江戸鎮台府は廃止,江戸府は東京府と改まる。8月17日,府庁を幸橋(さいわいばし)御門内(現在の千代田区内幸(うちさいわい)町1‐3)元柳沢甲斐守(大和郡山藩)邸に置く。9月2日,府職制成り正式に開庁,同年5月19日以降,事実上府政を執行してきた市政裁判所の事務を引き継ぐ。駿河以東13か国の政務を統轄していた鎮将府は,東幸の政治日程終了直後の明治元年10月18日廃止。東京府開設当初の府域は,旧町奉行の支配地内。同年11月,武蔵知県事所管の旧代官支配地の一部141町村を編入(東京府史料),次いで寺社地・武家地(武家地・町地等の区別は同4年戸籍法公布後撤廃)も管下に入れて府域を拡大整備。廃藩置県後の府県再編成に伴い,同4年11月13日,東京府および小菅(こすげ)・品川両県を廃止統合し改めて東京府を設置。同年末から5年にかけて,旧小菅(こすげ)・品川県管下および浦和・長浜・神奈川の各県所管の豊島・荏原(えばら)・多摩・足立・葛飾郡のうち350余町村を編入,府域はほぼ現行23区の範囲に拡大した。次いで同11年2月6日,伊豆七島を静岡県から移管。この間,行政区画はしばしば改編,明治2年新たに朱引(市街地と郷村地の境界線)を設定,朱引内を50番組・朱引外を地方5番組とした。同4年朱引を廃し府下を6大区97小区に分け,同6年朱引を復して朱引内6大区70小区(1,177町),朱引外5大区33小区(196町397村11宿)に編成。同11年7月郡区町村編制法公布により,同年11月2日,大小区制を廃し,朱引内よりやや広域に15区(麹町(こうじまち)・神田・日本橋・京橋・芝(しば)・麻布(あざぶ)・赤坂・四谷(よつや)・牛込(うしごめ)・小石川・本郷・下谷(したや)・浅草・本所・深川区),朱引外に6郡(荏原(えばら)・南豊島・北豊島・南葛飾・東多摩・南足立郡)を設置。同13年10月8日小笠原諸島を内務省から移管。同14年現在の同島内の戸数138・内国人364人・外国人53人,反別120町9反12歩余(小笠原島東京府日誌)。同22年5月1日,前年公布の市制町村制により,15区を市域とする東京市(市制特例により市長は府知事の兼任,明治31年10月1日特例廃止,市役所開庁)が成立,郡部は85町村(うち町は品川,淀橋(よどばし),内藤新宿など9町)に統合整理された。同26年4月,西・南・北多摩3郡(18町160村)を神奈川県から移管,府域は2~3倍に拡大,以後多少の変動はあるが,現在の東京都の境域がここに成立した。同29年,南豊島・東多摩2郡を合併して豊多摩郡とし,こえて大正6年八王子市制施行,昭和7年10月1日,東京市は三多摩を除く5郡82町村を編入して市域を拡張,20区(淀橋・向島(むこうじま)・城東・品川・荏原・目黒・大森・蒲田(かまた)・世田谷・渋谷・中野・杉並・豊島・滝野川・王子・荒川・板橋・足立・葛飾・江戸川区)を新設し合計35区(現在の23区の区域)となる。府の人口は,明治4年に約77万,同13年に100万を超過,同30年200万,同45年300万をこえ,大正末年450万,昭和16年には750万余に達した(府統計)。昭和15年立川市制施行により,府管下は3市と多摩3郡および島嶼地域となるが,首都東京市の占める比重は圧倒的である。かねてより首都に適応した制度を確立し府・市併存の弊を是正解消し,首都行政の一元化が要望されてきたが,戦争遂行のための体制整備が急務となり,これに促されて,昭和18年第81帝国議会で東京都制案を可決,6月1日東京都制公布,7月1日東京府・市を廃し従来の府の区域をもって東京都が成立。府庁舎は,明治22年5月,麹町区有楽町2丁目(現在の千代田区丸の内3丁目5‐1)に新築着工(設計・妻木頼黄),同27年7月竣工,8月5日元郡山藩邸の仮庁舎から現在の都庁所在地に移転した。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7062599 |