拝島
【はいじま】

旧国名:武蔵
多摩川中流の北岸に位置する。「新編武蔵」によれば「多摩川の上流のほとりなる日原(につぱら)村より,往古大日の像一躯流れきたり,東の方大神(おおがみ)村の川涯に漂い着きて,夜々に光明をはなちて赫燿たりしかば,里民等これを礼拝し,当村に迎えて安置しけるより名づくと云う,是浮きたる説なり」という。永禄12年6月,甲斐武田氏の軍勢は北条氏照の拠る多摩川対岸の滝山城(八王子市)に迫り,信玄は拝島の森(大日堂の森)に本陣を置き,滝山城を攻めたが陥れることができなかったという(北条記)。地内東端の大日堂は,拝島山密厳浄土寺大日堂と称し,「大日堂縁起」によれば,北条氏照の家臣石川土佐守は,娘おねいの眼病全快を感謝して大日堂に8坊を寄進した。そのうちの1つ本覚院は現在も拝島大師の名で親しまれている。
【拝島村(近世)】 江戸期~明治初期の村名。
【拝島村(近代)】 明治初期~昭和29年の村名。
【拝島町(近代)】 昭和29年~現在の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7063352 |





