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中川村
【なかがわむら】


(近代)明治22年~昭和14年の鎌倉郡の自治体名。阿久和(あくわ)・岡津・上矢部・名瀬(なせ)・秋葉の5か村が合併して成立。旧村名を継承した5大字を編成。村役場は一時岡津の向導寺に置かれ,明治23年12月から阿久和に置かれた。地名は村内の中央を阿久和川が貫流していることによる。明治42年と大正9~10年に小学校問題で紛争が起きたが,大正10年岡津に村立尋常高等小学校が設置された。この事件で村内は二分され,村長がしばしば変わっている。養蚕業が盛んで明治22年岡津に萩原製糸場が開業したのをはじめ,同24年阿久和に改良社,同27年阿久和に大剛社,岡津に岸松館,同29年阿久和に盛進社小林器械製糸場,同35年上矢部に小糸製糸場,同36年阿久和に大剛館分館製糸場,相原製糸場,相沢製糸場と相次いで設立された。同40年に改良社は女工120人を使い,石炭の消費量60万石であった。同44年桑畑120町歩,蚕飼育戸数470戸(全戸数の約8割),繭の産額2万1,724円であった。しかし改良社は大正元年には廃業。第1次大戦後の同9年をピークとして糸価は暴落し,同12年の関東大震災で小糸製糸場などが倒壊したが復旧せず,その後の不況のなかで養蚕業は衰退していった(鎌倉郡中川村郷土誌)。関東大震災での被害は死者13名,負傷者15名,全壊住宅138軒,半壊住宅214軒と村内の半数以上の家が被害を受けた。明治24年の戸数525,男1,703人・女1,739人。世帯数・人口は大正9年637・3,915,昭和10年681・4,150。同14年横浜市戸塚区の一部となり,5大字は同区の町名となる。なおこの際阿久和の一部から新橋町が起立。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7068180