報国寺
【ほうこくじ】

鎌倉市浄明寺にある寺。臨済宗建長寺派。山号は功臣山。本尊は釈迦如来。正しくは報国建忠禅寺と号し,鎌倉期の名仏師宅間法眼作の迦葉(かしよう)尊者像(明治23年の火災で焼失)を有したことから宅間寺とも呼ばれる。開創について従来は,室町幕府を開いた足利尊氏の祖父伊予守家時の創建とする説(寺伝,本朝高僧伝/仏教全書102)が有力であったが,宅間上杉氏の祖重兼の創建とする説(上杉系図・寛永宅間譜)も「鎌倉市史」が紹介して以来注目される。前者の説によると,建武元年隣接する浄妙寺(市内浄明寺)の住持であった天岸慧広(仏乗禅師)が請われて開山第1世として入寺するが,その翌年に死去。応安年中に3世として入寺した在中広衍などが寺基の確立に努めた(空華日工集)。室町幕府が定めた五山十刹の官寺制度にも組み込まれ,嘉慶2年以前には諸山位の禅院とされている(今枝愛真:中世禅宗史の研究)。以後は鎌倉府の足利氏によって保護を受けたが,永享の乱では持氏の子息義久が当寺で自害している(東乱記)。室町期の寺領については「新編相模」収載の旧所蔵文書中に「武州小山田保・下矢部郷真光寺・相州山内庄秋葉郷之内那瀬村」の3か所のほか開山塔休畊庵領4か所,更に文明初年の兵乱により不知行となった所領5か所を記している。戦国期には所領の多くは支配権を失うが,境内地周辺の諸課役免除・敷地安堵などの特権は永正17年に後藤氏より,天文20年に小田原北条氏より,天正17年に大道寺氏よりそれぞれ認められている(報国寺文書/県史資3下-6550・6917・9446)。こうした保護は近世期も変わらず,鎌倉郡宅間村で13貫文の朱印寺領と境内山林の諸役免除が認められている(寛文朱印留)。明治23年の火災と関東大震災により大半の伽藍は損壊し,近年再建された。境内に竹庭を設けて「竹の寺」として知られる。寺宝には,開山天岸の詩文集である東帰集1巻・紙本墨書仏乗禅師度牒1通・同仏乗禅師戒牒4幅などの国重文のほか,絹本著色羅漢図・絹本墨画在中広衍像(以上県重文)など鎌倉・室町期の書画類を所蔵。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7068916 |