100辞書・辞典一括検索

JLogos

75

井栗西村
【いぐりにしむら】


旧国名:越後

(近世)江戸期~明治10年の村名。蒲原郡のうち。五十嵐川右岸の平野部。もとは井栗村一村で,はじめ新発田(しばた)藩領,寛永5年からは同藩の分家である旗本溝口宣秋・溝口宣俊・溝口宣知の3給地となっていたが,万治2年溝口宣知家が無嗣子で絶家した後,寛文2年残る2家の知行所替が行われ,井栗村も宣知家知行分が5対6の割合で分割されて残る2家それぞれに付けられた。以後,旗本溝口宣秋知行分を井栗西村,溝口宣俊知行分を井栗東村と称するようになった。以後,当村は元禄8年幕府領,明和6年からは三日市藩領となる。村高は,元禄8年に590石余,「旧高旧領」も同高。なお,「元禄郷帳」「天保郷帳」では井栗村一村として見える。初期の庄屋は菊田治郎右衛門で,天和2年に水原(すいばら)町から松川家が庄屋として移り,三日市藩領となった以後は同藩領井栗組の大庄屋も勤める(三条市史研究5)。享保9年村諸色書上帳では,反別50町余,家数75(本家58・名子15・寺1・山伏1),人数484,馬10,真言宗福楽寺,山伏大正院,八幡宮・諏訪宮などを記す。村内に郷蔵が置かれ,当村のほか北野・白山・須戸・柳場の各新田の年貢米が集積された(三条市史資料編3)。明治10年再び井栗村の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7070182