石高新田
【いしだかしんでん】

旧国名:越後
(近世)江戸期の新田名。蒲原郡のうち。信濃川下流右岸の自然堤防上と沖積微高地。元禄11年新田年号並枝村方角道法付(新発田市立図書館蔵)によれば,明暦元年の開発といい,安政3年のものとされる開発年号並庄屋名主遺書覚書(星野家文書)によれば,寛文3年六兵衛の開発という。六兵衛は,杉之森村羽賀孫右衛門の次男で,村名にちなんで石高を姓としたという。「元禄郷帳」「天保郷帳」では中条村枝郷と注記されている。新発田(しばた)藩領。村高は,「元禄郷帳」262石余,「天保郷帳」746石余。寛文7年と推定される御領内見分之書付(貴船家文書)では,物成高237石余,家数65・人数323。開発年号並庄屋名主遺書覚書は元禄年間に上沼新田・下沼新田に分かれたというが,延宝8年の中之島組無作村々麦種子代金拝借帳(浅野家文書)に上沼新田・下沼新田の名が見え,すでにこの頃から当新田は上沼新田・下沼新田に分かれたと考えられる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7070242 |





