小木港
【おぎこう】

佐渡ケ島小木町東南部,陸繋島城山(しろやま)のふもとにある港湾。南向きの湾入を内ノ澗,東向きの湾入を外ノ澗と呼ぶ。「佐渡年代記」慶長19年の条に「今年小木町を開き,海場に定む」とあって,この年町が行政的に成立した。慶長年間の終わりからは人の渡海場のほか,相川からの運上銀の渡海港となり銀は主として小木街道を運ばれた。銀は木崎社の拝殿に納められ日和をみて越後尼瀬(出雲崎)に積み出された。当時小木を中心に活動した者に風間長左衛門がある。寛文10年,佐渡奉行所は鉱山の衰退に伴って余剰とされた年貢米を江戸の米屋に払い下げたが,翌年内の澗と外の澗の間に幅7間半の潮通しの堀割をつくって小木を避難港として整備した。河村瑞賢の西廻航路の開設はこのときに始まる。明治期に入り蒸気船時代を迎えると西廻航路の衰退に伴って衰えるが,とりわけ新潟~夷間の航路開設,相川~夷間の県道開設(明治18年)ののちは佐渡の表玄関の地位を夷港(両津港)に譲り,現在は定期航路として直江津小木航路を残すのみとなった。漁港としての小木港は昭和36年第2種漁港として整備され,昭和60年には5t以下152隻,5~10tの漁船3隻の基地として年間1本釣り約500t・小型定置網380t・採算漁業142t。昭和58年の入港船舶総数2,157隻,うち漁船22隻。現在は重要港湾の指定を受け観光施設を備えた近代港としての整備を進めている。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7071362 |