蜘ケ池
【くもがいけ】

旧国名:越後
潟町砂丘(犀浜砂丘)の中央部に位置する。潟湖「蜘ケ池」がある。地名は,当地に居住していた先住民を蜘蛛族・土蜘蛛ともいったことによるとも伝えられる。また,ミズチという動物が蜘蛛に化け,水辺の通行人を害したといい,大瀁郷の新田開発のとき,毒蛇や悪蜘蛛の害に悩まされた人々は,当地内にある島の観音に悪魔追放の祈願をしたことも伝えられる(大潟町史)。曹洞宗瑞天寺は,寺伝によると行基の開基という。当初の宗派は不明,鎌倉中期には刈羽郡佐橋荘の領主毛利氏の保護を得て真言宗寺院となる。同寺所蔵の千手観音像・不動明王像・毘沙門天像は鎌倉期のものと推定される。応仁・文明年間兵火にあって堂宇焼失,寺運が衰退した。「慶長国絵図」には,同寺が「くわんほんたう」と記されている。寛永年間真言宗から曹洞宗に改宗,中谷内・大潟の新田開発には祈願寺となり,寺領33石余を受けた。文政6年本堂と観音堂を再建,前面の沼池に映えて「島の観音」と呼ばれた。
【蜘ケ池村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【蜘ケ池(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7072721 |





